君の唇に 敬礼

雑食ヲタのけいぽ日記

青い月にありったけの愛を

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おめでとう。おめでとう。

もう私の愛するアイドルは4周年を迎えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペンコン記事もそのままに、すこーしだけ、私の重たいTMI。

 

 

 

 

 

 

物心着いた時には歌手になるのが夢で、いつも歌ってた。親も友達も知らない人も、歌えば皆褒めてくれるから私は絶対歌手になる運命だって幼い頃は信じて疑わなかった。

 

 

 

「歌手?なれる訳ないでしょそんなもの」

 

 

 

親からの何気ない一言で人生の厳しさを知った小学一年生。

それでも音楽にしがみついていたくて、紛らわすようにフルートを始めた。狂ったように練習して、全国コンクールで1位になった時に私には音楽しかないと痛感した。

 

 

 

 

部活を始める歳になって、勿論吹奏楽部に入った。頭の片隅にある「歌手」への夢を押し潰して、フルート教師になろうと思った。

 

 

けれど、小学校中学校と部活を続けて、パートリーダーや副部長までやらせてもらって分かったことは、私は一生フルートを吹いて生きていくなんて御免だということ。

私の中でフルートは、確かな取り柄ではあったけれど、愛してはいなかった。

 

 

 

 

そうして高校に上がった時。

私は吹奏楽ではなく、音楽と同じぐらい興味があった演劇部に入った。フルートは15年続けた末辞め、逃げるように手元にあった楽器と楽譜を全て売った。

同じくして、せめて趣味では歌を歌っていようと、ネットに自分の歌を載せるようになった。

 

 

 

 

この時はもう、なんでもいいと思ってたと思う。自分の好きな事をして生きていければ、なんでもいい。歌手じゃなくても、大丈夫。

 

 

 

実際3年間演劇に触れて、私の生活は大きく変わった。私の想像を遥かに超える魅力がそこには詰まっていて、役者も裏方も監督脚本も、どれも1つずつ違う楽しさがあった。

 

 

その中でも私は役者が好きだった。演じるのが楽しかった、だけが理由じゃない。

“ステージに立つ”という事が夢見る歌手と重なって、自分の惨めな望みをほんの少しだけ叶えてくれると感じたのが大きかった。

 

 

 

役者でもいいかもしれない。

妥協に似た思いではあるけど、間違いなく私の幸せな道だとは思った。

 

 

 

でも私には、表に立つ才能はなかった。

脚本の賞を貰えても、役者の賞を貰えたことは1度もなかった。オーディションに出れば絶対に役者にはなれたけれど、その程度だったのは言うまでもなかった。

 

 

 

高校3年になって大学受験が迫った時、いつからかもう分からないけれど、その時既に「死にたい」と息をするように思っていた。

 

 

やりたくない事を一生してまで生きていく価値が、私には見いだせなかった。私は可愛くもなかったし、頭がいいわけでもなかった。なりたいものにはなれないと言われて、それでもここまで生きてきた。

なんで生きていかなきゃいけないのか、と思うのは自然だった。

 

 

 

 

結局、専門学校で音楽を学びたいと言った私の我儘はあっさり折られた。

死んでも行きたくないと思っていた女子大に入学を決め、せめて好きなものを学ぼうと、脚本家の道を探した。

 

 

 

 

 

 

時を同じくして、ネットに歌をあげていた事が私の人生を少し変えてくれた。

 

 

nanaというアプリに歌を上げていたけれど、その中でユーザーが自主的にライブをやる事が流行り始めた。

 

 

声をかけてもらった私は1つ返事で出場を決めた。200人以上の前で歌う、初めての機会だった。

全力で歌った歌は緊張で下手くそにも程があったけど、沢山の人が泣いてくれた。ファンです、と手を握ってくれた。応援しています、と手紙をくれた。

 

 

 

 

やっぱり私は、歌を歌って生きていきたい。

そう思った。

 

 

 

 

 

だから大学での意思のすれ違いは地獄だった。

脚本を書く時間を作るほど、こんなことをしてる暇があるなら歌を練習したいのにと焦った。バイトをしてお金を貯めて、沢山ステージに立ちたいのにと。

 

 

 

磨り減った心に追い打ちをかけるように、私の大学生活は崩れて行った。というか、運が悪かった。

 

 

 

入学したてで取った体育の授業では、私以外が全員付属高校からの持ち上がりだった。話しかけても線を引かれ、嫌な顔をされ、ロッカーに入れてあった大事な腕時計は盗まれた。

 

 

 

大学に行くのが怖くなり、朝は起きれなくなった。行きたくないと言えずにいたのは、受験が終わった時母が「留年したら許さないからね」と冷たく言い放った事が忘れられなかったからだった。

 

 

 

2年になっても出席出来ず、何とか通える範囲で誤魔化しながら過ごした。仲が良かった友達も、気付けばLINEが返ってこなくなり私の隣にいることは無くなった。今まで生きてきてこんな経験はなかった。

 

 

 

朝起きる度に一日が始まるのが辛くて、寝れば明日がやってくるのが怖かった。毎晩泣いて、死にたいと本気で考えた。有り得ないと思ってたリスカに手を出し、練炭自殺も考えた。

 

 

 

 

何故、死ねなかったのか。

MONSTA Xに会いたかったから。

 

 

 

 

馬鹿げた話かもしれないけれど、死のうとする度、「ああでもまだ彼らの歌を聴いていたい。新しい曲も、今までの大好きな曲達も。もっといろんな姿を見ていたい。ライブに行って生で感じて、愛していたい」脳裏にチラつくその思いが私の死を遠ざけた。

 

 

 

音楽を愛していても、今まで心から追いたいと思える歌手に出会えなかった。

そんな私が初めて出会った「一生掛けて追っていきたい」アーティストがMONSTA Xだから。手放したくなかった。ずっと好きでいたいと、飽き性な自分に怯えながら祈るように毎日曲を聴いて過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから紆余曲折あって、両親と和解し私は大学をやめた。好きな事をして生きるために今はバイトを続けている。

 

 

ライブにも、もう10回は出たと思う。

憧れている彼らの背を、ちっぽけながらも追って歌っている。私の歌を好きだと言ってくれる人も、ライブをすると言えば絶対に駆けつけてくれる人も出来た。

 

 

 

同じアーティストを好きになった人と仲良くもなって、幸せな時間を過ごすことが出来た。

 

 

 

 

 

私の命を救ってくれたMONSTA Xは、人生も変えてくれた大きな大きな存在だと、改めて書いていて思う。

私以外にも同じように救われた人が沢山いるだろう。モンベベの数が、MONSTA Xの努力と慈愛の証拠にほかならない。

 

 

 

 

 

 

 

私の長々としたくだらない人生を抜きにしても、彼らは誰より輝いていて、素敵な人たちだと思います。生まれてきてくれてありがとう。月並みな言葉だけれど、貴方達を愛してる1人として感謝を伝えたい。たくさんの愛を、ありったけの愛を注ぎたい。

 

 

 

 

これからも沢山の愛を貰って、捧げていきたいな。4周年、本当におめでとう。

 

 

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